伊達政宗の愛馬「後藤黒」「五島黒」(ごとうくろ) |
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・説明:青葉城の伊達政宗公が乗っている騎馬像の馬は、家臣の後藤信康からの献上馬で「五島号」という。 五島の家来に新蔵という馬の育て方がうまい者がいて、その中でも良く出来た馬を献上したらしい。 昔から奥州は馬の産地として有名であり奥州馬として武将に人気があった。その昔、源頼朝にも献上されたという話がある。 政宗公は若い頃、戦に出かけるときはいつも五島号に乗っていたが、大坂の陣のときはさすがの五島も老齢で、「此の度の戦は長旅になる、そちも老齢の故、今回は留守を申しつける」と言い残して政宗公は大阪に出発していった。 残された五島号は、自分はもう昔のように政宗公のお役に立つことは出来ないのかと悲観し、馬屋を飛び出して崖から飛び降りて死んでしまったという。(出陣できなかった後藤信康が、抗議のために乗って飛び降りたという説もある) 大阪から帰ってきてこれを知った政宗公は五島号を哀れに思い、飛び降りた場所が「蛎崎(かきざき)」という所だったため、そこへ神社を造って祀り、追廻(馬の訓練場だった)の馬の守り神とした。 明治に入って軍が一帯を管理し始めると、1885年(明治18年)(4年の説もある)に片平丁に移転させられ、元の場所には小さな祠が残された。 |
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伊達政宗の愛馬 「太刀風(たちかぜ)」 「汗血馬(かんけつば)」 |
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伊達政宗の愛馬 「荒波(あらなみ)」 |
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