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伊達政宗の愛馬「後藤黒」「五島黒」(ごとうくろ)
・説明:青葉城の伊達政宗公が乗っている騎馬像の馬は、家臣の後藤信康からの献上馬で「五島号」という。
 五島の家来に新蔵という馬の育て方がうまい者がいて、その中でも良く出来た馬を献上したらしい。
 昔から奥州は馬の産地として有名であり奥州馬として武将に人気があった。その昔、源頼朝にも献上されたという話がある。
 政宗公は若い頃、戦に出かけるときはいつも五島号に乗っていたが、大坂の陣のときはさすがの五島も老齢で、「此の度の戦は長旅になる、そちも老齢の故、今回は留守を申しつける」と言い残して政宗公は大阪に出発していった。
 残された五島号は、自分はもう昔のように政宗公のお役に立つことは出来ないのかと悲観し、馬屋を飛び出して崖から飛び降りて死んでしまったという。(出陣できなかった後藤信康が、抗議のために乗って飛び降りたという説もある)
 大阪から帰ってきてこれを知った政宗公は五島号を哀れに思い、飛び降りた場所が「蛎崎(かきざき)」という所だったため、そこへ神社を造って祀り、追廻(馬の訓練場だった)の馬の守り神とした。
 明治に入って軍が一帯を管理し始めると、1885年(明治18年)(4年の説もある)に片平丁に移転させられ、元の場所には小さな祠が残された。
蠣崎稲荷大明神(かきざきいなりだいみょうじん)
・場所:宮城県仙台市青葉区川内追廻 Yahoo地図
2016.4.1


2016.4.1


            蠣崎大明神
  南無妙法蓮華経 
            五島馬頭観世音
                  昭和48年稲舟溝
2016.4.1


 


馬上蠣崎神社(うばがみかきざきじんじゃ)
・場所:宮城県仙台市青葉区片平1-2  Yahoo地図
・説明:藩祖政宗公に功臣後藤信康が献じた五島という愛馬があった。
 年老いて1614年(慶長19年)十月公の大坂出陣に洩れた事を悲しみ本丸の崖から飛下り死亡した。
 依(よ)ってその地蛎崎(かきざき)に葬り馬上蛎崎神社を建てゝ祀り追廻馬場(おいまわしばば)の守護とした。
 1871年(明治4年)片平町の良覚院跡に移して社殿成り桜田如水(じょすい)を宮司として市民の間に五島墓(ごとはか)さんと称して親しまれた。
 古来旧三月十五日草餅を笹に付けて門口に挿し病送りとする梅若のコトの日を祭日としたが後ち八月一日二日に改めた。
 子どもの馬脾風(ばひふ)(ジフテリア)除けの信仰があり胡桃(くるみ)を奉納する。
   三原良吉誌 
2016.4.1


2016.4.1


2016.4.1



 
伊達政宗の愛馬 「太刀風(たちかぜ)」
        「汗血馬(かんけつば)」
伊達政宗の愛馬 「荒波(あらなみ)」