1568年
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信夫郡大森城主(現福島市)・伊達実元の嫡男として生まれる。
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1583年
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家督を継いで大森城主となる
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1586年
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大森城から二本松城主となる
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1589年
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摺上原の戦いで、突出した敵の側面を強襲して合戦序盤の劣勢を覆すなど、伊達勢の中核として活躍し数々の軍功を挙げた
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1590年
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政宗が豊臣秀吉の小田原征伐に参陣した際には、会津黒川城に残って留守居役を務めた
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1591年
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政宗の岩出山城への転封にともない角田城主となる
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1595年
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伊達家を出奔
高野山に入り、後に相模糟谷に陋居するという。政宗は成実の居城角田を召し上げた。この際、抵抗する家臣らが討ち死にした。
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1600年
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伊達政景・片倉景綱らの説得によって帰参
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1602年
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白石城に移った片倉景綱に代わって亘理城主になる
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成実は所領の開発・復興策を強力に推し進める。
農政面では灌漑設備の充実を図り、岩地蔵用水の全面的改修、鳩原用水を新設
沿岸部の耕作に適さない地域を活用するため、鳥の海の周囲(鳥屋崎浜・箱根田浜・長瀞浜・大畑浜・今泉浜・今神浜)に塩田を開いた。
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1636年
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政宗死去 |
1639年
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跡継ぎがないため伊達政宗九男 伊達宗実を養子にする。
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第2代藩主・忠宗の下で家中の長老として重きをなした。
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1646年
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死去 享年79 墓所大雄寺
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