登米伊達家2代当主 |
白石 宗貞(しろいし むねさだ)
|
・1597年
|
伊達氏家臣 梁川宗直(白石宗直)の長男として生まれる。
|
・1599年
|
白石宗直が死去 白石氏を継ぐ
|
・1616年
|
白石氏は伊達の姓の名乗りを許された
|
・1629年
|
宗直は、藩主伊達政宗の勘気を蒙って仙台への出頭を命じられ、査問を前にして死亡した。・ |
・1630年
|
白石氏から伊達姓を剥奪し、家格を一家に降格することでこの一件を落着させ、宗貞に父の遺領15000石の相続を許した。この時、1430石を弟・宗元に分知し、梁川氏を再興している。
|
・1640年
|
仙台藩2代藩主 伊達忠宗は男子のいなかった宗貞に対し、白石氏に再び伊達姓の名乗りを許すかわりに自らの四男・五郎吉を婿養子に迎えて隠居するよう命じる。 |
宗貞には隠居領として登米領から遠田郡米岡(登米市米山町西野)3000石を分与され、白石の氏に復した宗貞には改めて一家の家格が与えられた。
|
・1644年
|
仙台城下の屋敷で死去 享年48
|