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 登米 伊達家霊屋

登米伊達家初代当主
梁川(やながわ)・白石(しろいし)・伊達(だて) 宗直(むねなお)
・1577年
 梁川宗清の長男として生まれる。
・1599年
 白石宗実の養子になり胆沢水沢城主となる。
・1600年
 伊達政宗の命を受け、南部氏に反乱を起こした和賀忠親を支援する(岩崎一揆)。
 この一件で伊達宗家は徳川家康との禄高100万石加増の約束「百万石のお墨付き」が反故にされた。
・1604年
 宗直は責任を取って登米郡寺池城へ転封となった。
・1616年
 白石氏は伊達の姓の名乗りを許され伊達宗直に
・1629年
 死去

登米伊達家2代当主
白石 宗貞(しろいし むねさだ)
・1597年
 伊達氏家臣 梁川宗直(白石宗直)の長男として生まれる。
・1599年
 白石宗直が死去 白石氏を継ぐ
・1616年
 白石氏は伊達の姓の名乗りを許された
・1629年
 宗直は、藩主伊達政宗の勘気を蒙って仙台への出頭を命じられ、査問を前にして死亡した。・ 
・1630年
 白石氏から伊達姓を剥奪し、家格を一家に降格することでこの一件を落着させ、宗貞に父の遺領15000石の相続を許した。この時、1430石を弟・宗元に分知し、梁川氏を再興している。
・1640年
 仙台藩2代藩主 伊達忠宗は男子のいなかった宗貞に対し、白石氏に再び伊達姓の名乗りを許すかわりに自らの四男・五郎吉を婿養子に迎えて隠居するよう命じる。 
 宗貞には隠居領として登米領から遠田郡米岡(登米市米山町西野)3000石を分与され、白石の氏に復した宗貞には改めて一家の家格が与えられた。
・1644年
 仙台城下の屋敷で死去 享年48

登米伊達家3代当主
伊達 五郎吉(だて ごろうきち)
・1638年
 仙台藩2代藩主 伊達忠宗の四男として生まれる。
・1640年
 白石宗勝(宗貞)の養子になり家督を相続
・1643年
 仙台藩主2代伊達忠宗により伊達の氏を賜る。
・1644年
 仙台二の丸で病死 享年7

登米伊達家4代当主
伊達 宗倫(だて むねとも)
・1640年
 仙台藩2代藩主 伊達忠宗の五男として生まれる。
・1644年
 登米伊達家3代当主 兄の伊達五郎吉が死去
・1644年   跡取りとして迎えられ 登米伊達4代当主となる 
・1670年   江戸から帰国途中仙台で死去 享年31 覚乗寺に埋葬
 仙台藩第3代藩主伊達綱宗の子・熊之助(村直)が相続した
・1672年
 天山廟(覚乗寺 高台院霊屋) 

登米伊達家5代当主
伊達 村直(だて むらなお)
・1666年
 仙台藩3代藩主伊達綱宗の四男として生まれる
・1670年   伊達宗倫の養子になる
・1709年   死去 42歳


天山廟(覚乗寺 高台院霊屋)
・場所:宮城県登米市登米町寺池 Yahoo地図
・指定:宮城県県指定 有形文化財 建造物
・説明:登米(とよま)伊達家四代当主伊達宗倫(むねとも)(仙台二代藩主伊達忠宗の五男)の廟所で、
 伊達宗倫は1670年(寛文10年)31歳で死去
 宗倫は宗家より養子となって登米にきていること、覚乗寺を復興していることなどから、菩提寺の養雲寺に葬られず、覚乗寺に埋葬された。
 本霊屋は天山廟とも称し、1672年に竣工した。松島の圓通院霊屋とともに仙台藩霊屋建築の秀作
・4月29日に一般公開されます。
2006.6.3


2008.4.29