亘理 伊達家初代当主
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伊達 成実(だて しげざね)(藤五郎、安房守) |
・1568年 |
父は大森城主 伊達実元、母は実元の兄・伊達晴宗の娘
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・1583年 |
家督を継いで大森城主 伊達領南方の抑えを担う
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・1586年 |
大森城から二本松城主へと移され、旧領の信夫・伊達両郡に換えて安達郡33か村(およそ38,000石)の所領を与えられる。
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・1591年 |
伊達政宗の岩出山城への転封にともない二本松から居城を角田城主に
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・1595年 |
伏見に居た成実は突如として伊達家を出奔し、角田城は政宗の命を受けた岩出山城留守居役の屋代景頼によって接収される。
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・1600年 |
伊達政景・片倉景綱らの説得によって帰参し、7月の白石城攻めにも石川昭光の軍に属して参加したといわれる
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・1603年 |
白石城に移った片倉景綱に代わって亘理城(亘理要害)に入り6113石)を拝領。仙台藩一門第二席・亘理伊達氏の初代当主
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・1646年
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宗実に家督を譲り 死去 享年79 墓は大雄寺 |