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政岡(まさおか)/三沢 初子(みさわ はつこ)
・説明:1640-1686年 47歳没 三沢清長の娘として生まれる。13歳のとき父母と死別
 伊達忠宗(仙台藩二代藩主)の正室「振姫」の侍女となった。
  侍女の初子は容姿端麗、天性聡明であったので、忠宗は振姫と相談し、初子を伊達綱宗(仙台藩三代藩主)の側室とした。
 伊達綱宗は死ぬまで正室を迎えず、初子は事実上の正室であった。
 伊達綱村(仙台藩四代藩主)の生母


釈迦堂の政岡(三沢初子)石像
・場所:仙台市宮城野区榴岡4丁目11-11 孝勝寺  Yahoo地図
 1965年綱村は母の遺志を守り母の持仏である釈迦如来像を祀るため、榴ヶ岡に釈迦堂を建立
 1973年宮城県立図書館建設に伴い釈迦堂は孝勝寺の境内に移転
 釈迦堂:仙台市登録文化財

 





三沢邸跡(綱村母浄眼院生家)碑
・場所:宮城県仙台市青葉区大手町1-1  Yahoo地図
 昭和36年 鈴木彦冶 建立
 ここは藩政時代仙台藩の重臣三澤氏邸宅のあった所である。三澤氏は出雲三澤城主左京亮為虎を祖とし清長に至って一女一男あり、初子、又四郎という。
初子は怜悧にして容姿端麗、3代藩主綱宗の準夫人となり亀千代、則ち4代藩主綱村が二子を生み、演劇伽羅先代萩の政岡に仮託せられて、世に名高い。弟又四郎は伊達氏に仕えて、三澤信濃宗直と改め、延宝3年綱村初入部に際し、外戚の故を以て一門にて列し3000石を領した。世はこれを異数としたが、綱村幼時伊達騒動渦中に生い立ち、母公の苦心擁護の恩に報ずるところという。歴代藩主は三澤邸を以て、浄眼夫人生家とし邸前を輿中会釈して過ぐるを例とした。
もとここに堅引雨丈の鬼瓦を上げた旧玄関の遺構を存したが撤去に当たり記して史跡を後世に伝える。




政岡墓所/孝勝寺
・1686年孝勝寺(こうしょうじ)に葬られる。
・場所:宮城県仙台市宮城野区榴岡5丁目  宮城野区榴岡サンプラザの西 Yahoo地図
 仙台藩二代藩主忠宗の正室の振姫(ふりひめ)(二代将軍徳川秀忠の養女) 1659年埋葬
 仙台藩三代藩主綱宗の側室である三沢初子 1668年埋葬
 仙台藩
四代藩主綱村の正室である仙姫  昭和30年に小田原の万寿寺から移された
 御廟所境内には、ひとふしに 千代(ちよ)をこめたる 杖ならば つくともつきじ 君の齢(よわい)は」という初子作の歌が碑に刻まれている。





三沢 初子(みさわ はつこ)真筆歌碑
・説明:1640-1686年 伊達家3代藩主 伊達綱宗の側室 伊達家4代藩主 伊達綱村の生母
 一ふし尓  千世越こめ多る 杖な連ハ  つくとも徒きじ 君がよ者出盤
 ひとふしに ちよをこめたる つえなれば つくともつきじ きみのよはでは
 一節ごとに千代も栄える姿をそなえている杖なので、どれほど杖を突こうが、尽きようとしても尽きることがあるまい、君の寿命は。
 詠み人:大中臣 頼基(おおなかとみの よりもと)



浄眼院殿の御霊屋唐門が新寺小路の成覚寺に移築された
・場所:宮城県仙台市若林区新寺3丁目10-12  Yahoo地図
・説明:山門は、もとは仙台藩四代藩主伊達綱村の生母、三沢初子(浄眼院)の廟の霊屋門として、1687年(貞享4年)に建てられたと考えられる。一間一戸、棧瓦葺の向唐門である。
 
榴ヶ岡天満宮唐門大願寺唐門と同巧で三門の中では最も古い。

旧 成覚寺山門





新 裏から


 

政岡の墓
網村の乳母「白河志摩義実夫人」三沢初子ではない。
・場所:宮城県栗原市一迫真坂字館浦59 龍雲寺 Yahoo地図
 政岡は伊達騒動を戯曲化した歌舞伎「伽羅先代萩」の登場人物である乳母で、幼君・亀千代を伊達4代藩主・網村に育て上げた白河志摩義実夫人をモデルにしたとされています。毎年4月には、その霊を慰めようと、町をあげて「政岡まつり」が行われます。




榴岡公園
・場所:仙台市宮城野区五輪1-301-3榴岡公園 Yahoo!地図
・1695年伊達家第四代藩主 綱村公が母の遺志により京都から取り寄せた枝垂れ桜など千本を植えた。




 


政岡豆
・説明:政岡豆は明治の後期に政岡屋本店深川左蔵によって仙台土産として作られました。
 宮城県産のアオバタ豆の煎り豆に砂糖をかけたもので、白・緑・こげ茶の三色があった。
 政岡の名とともに広く知られた。現在は作られていない