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伊達 秀宗(だて ひでむね)

・1591年
 伊達政宗の側室の子として陸奥国柴田郡村田城に生まれる。幼名は兵五郎。
 この時点では、政宗の正室愛姫に男子がいなかったため、周囲からは「御曹司様」と呼ばれて伊達家の家督相続者と目されていた。
・1594年
 政宗に伴われて秀吉に拝謁し、秀吉に人質として差し出される事になり、伏見城で養育された。
・1600年
 関ヶ原の戦いの時は、三成方の宇喜多秀家の邸にて、対伊達政宗の人質となる。
・1602年
 徳川の人質として江戸に向かったが正室愛姫との間に虎菊丸(伊達忠宗)が生まれる
・1603年   政宗は虎菊丸を家康に拝謁させ、秀宗の立場は微妙になりだした
・1609年
 秀宗は家康の命令で徳川四天王で重臣の井伊直政の娘の亀を正室として、徳川陣営に取り込まれる事になる。
・1611年
 弟の虎菊丸が江戸城で元服し、将軍秀忠から一字を賜って忠宗と名乗った事により事実上秀宗は伊達家の家督相続者から除外される事になる。
 秀吉・秀頼の側に仕えたことから徳川氏の世では仙台藩主としてふさわしくないという理由で除外されたとされている。
 このため別家を興すことを父・政宗が考える。
・1614年
 大坂冬の陣には父と共に参陣し、初陣を飾る。戦後、大御所徳川家康から参陣の功として政宗に与えられた伊予宇和島10万石を別家として伊予宇和島初代藩主となる。
・1620年
 家老山家公頼が対立していた桜田元親に襲撃されて一族皆殺しにあう。秀宗はこれを幕府や政宗に報告しなかったことから、激怒した父によって勘当される。
 政宗と秀宗は面会し、その場で秀宗は長男であるにもかかわらず仙台藩の家督を嗣げなかったことや、長期にわたって人質生活を送らされていたことから、政宗に対しかなりの恨みを持っていることを話した。
 政宗もその秀宗の気持ちを理解し、勘当は解かれた。この件をきっかけとして親子の関係は良好になったとされる。
・1658年
 死去 享年68

伊達政宗(伊達藩初代藩主)






 
母 愛姫
八男

竹松丸

7歳死亡
母 愛姫
五男
宗綱
岩ヶ崎
伊達氏
初代当主
母 愛姫
二男
忠宗

伊達藩
二代藩主
 






 

法性院
十男
宗勝

一関
藩主


阿茶の局
荘厳院
九男
宗実
亘理
伊達氏
2代当主

於山方
七男
宗高

村田
伊達氏
当主

於山方
六男
宗信

岩ヶ崎
伊達氏
2代当主

祥光院
四男
宗泰

岩出山
伊達氏
初代当主

新造の方
三男
宗清

吉岡
伊達氏
当主

新造の方
長男
秀宗

宇和島藩
初代藩主


伊予宇和島藩:愛媛県宇和島市