| 愛知 揆一(あいち きいち) |
・説明:1907-1973年 66歳没 東京都生まれ 仙台市出身、仙台二高卒 東京帝国大学法学部卒
大蔵省に入省 官房長、銀行局長等歴任
衆議院議員で通商産業大臣兼経済審議庁長官、内閣官房長官、法務大臣、自治庁長官、文部大臣、科学技術庁長官、外務大臣、大蔵大臣
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青葉城本丸跡 愛知揆一像
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・場所:宮城県仙台市青葉区川内 Yahoo!地図
・作者:佐藤忠良(さとうちゅうりょう) 1912-2011年 宮城県生まれ |


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飛瀧神社 愛知揆一先生の碑
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| ・場所:宮城県名取市高舘吉田字舘山8 Yahoo!地図 |

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相澤 幸四郎(あいざわ こうしろう)
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・説明:1964年に相沢幸四郎が中心となって,住民団体としては初の愛鳥会となる「新田白鳥愛護会」が結成された。近年まで野鳥の保護活動などに貢献
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相澤 幸四郎 先生寿像
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・場所:宮城県登米市新田 伊豆沼 Yahoo地図
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青沼 彦治(あおぬま ひこはる)
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・説明:醸造業を営んでいた青沼彦治が私財を投じて建立した荒尾神社が隣にある。
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青沼 彦治顕彰碑
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・場所:宮城県大崎市古川福沼1 Yahoo!地図
・作者:高村光太郎
・1925年建立 1939年(昭和41年)11月再築
戦時中に金属供出し、現在はない。
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2012.10.4

2012.10.4

2012.10.4

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青木 存義(あおき ながよし)
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・説明:1879~1935年 宮城県宮城郡松島町生まれ
国文学者、唱歌作詞家、小説家
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「どんぐりころころの碑」/松島第五小学校
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| ・場所:宮城県宮城郡松島町幡谷 松島第五小学校 青木家の屋敷跡 Yahoo!地図 |
・作者:作詞 青木存義/作曲 梁田貞
青木の没後、終戦直後の1947年(昭和22年)に小学校用の音楽教科書で使用された。
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1 どんぐりころころ どんぶりこ
お池にはまって さあ大変
どじょうが出て来て 今日は
ぼっちゃん一緒に 遊びましょう
2 どんぐりころころ よろこんで
しばらく一緒に 遊んだが
やっぱりお山が 恋しいと
泣いてはどじょうを 困らせた
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1987年 建立
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2007.4.27

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「どんぐりころころの碑」 観瀾亭(かんらんてい)
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・場所:宮城県宮城郡松島町松島 観瀾亭 Yahoo!地図
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1 どんぐりころころ どんぶりこ
お池にはまって さあ大変
どじょうが出て来て 今日は
ぼっちゃん一緒に 遊びましょう
2 どんぐりころころ よろこんで
しばらく一緒に 遊んだが
やっぱりお山が 恋しいと
泣いてはどじょうを 困らせた
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| 1984年 建立 |
2005.4.9

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東 東洋(あずま とうよう)
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仙台四大画家(せんだいしだいがか)
東東洋・小池曲江・菅井梅関・菊田伊洲の四人
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・説明:1755-1839年 85歳没 宮城県登米市石越町生まれ 後 栗原市金成中町に移住
幼名は俊太郎、のち儀蔵。
江戸出身の京都の絵師狩野梅笑(かのうばいしょう)が金成に来たとき東洋の画才の卓越していることを知り自分の養子として京都に連れて帰る。京都では池大雅(いけたいが)や円山応挙(まるやまおうきょ)に学び、長崎で西国の方西円を師とした。
法眼の位を得て活躍。
帰郷後、仙台藩の御用絵師を務め、仙台城二の丸再建時の障壁画や藩校養賢堂障壁画制作にも携わる。
最初の号は、玉河(玉峨)で、別号に白鹿洞・白鹿園
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仙台市博物館所蔵
仙台城旧本丸及び二ノ丸御殿障壁画「松に山鳥図」
1809年(文化6年) 仙台城の数少ない遺品 仙台市指定文化財

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紙本著色河図之図(しほんちゃくしょくかとのず)
(仙台藩の藩校養賢堂の襖絵)1817年(文化14年)
仙台市指定文化財
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所蔵:東北歴史博物館
酒呑童子物語図屏風(しゅてんどうじものがたりずびょうぶ)
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福島美術館(仙台市若林区土樋288) 14件
鍾馗図(しょうきず)
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| 日枝神社(ひえじんじゃ)拝殿 「白鹿図」 |
・場所:宮城県栗原市金成中町27 Yahoo地図
栗原市の文化財に指定
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| 宝鏡寺(ほうきょうじ) 板戸の鶴の図 |
・説明:宮城県気仙沼市字川原崎31 Yahoo地図
1835年(天保6年)の作 見学した。 気仙沼市指定文化財
宝鏡寺本堂書院床脇の黒漆塗框の引違桐戸(幅136.36cm、高さ139.39cm)2枚に金粉をまき、丹頂鶴2羽を描いた作品
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| 墓 |
・場所:宮城県仙台市若林区荒町56 昌伝庵 Yahoo地図
この墓だと思います。
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| 東 東洋(あずまとうよう)の筆塚 |
・場所:宮城県仙台市青葉区川内26 仙台市博物館 Yahoo!地図
・説明:塚には「恭封廃筆」「恭(うやうや)しく廃筆を封ず」の語と東洋の号「白鹿園」が刻
・設置年:良覚院丁にあったが、郷土史家 故三原良吉が譲り受け、仙台市に寄贈
1999年(平成11年)現在地に移設
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2014.11.14


「恭封廃筆」「白鹿園」

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阿部 静枝(あべ しずえ)
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・説明:1899-1974年 75歳没 登米市中田町石森町生まれ 旧姓:二木 本名:志つえ
作家 歌人 社会運動家 お茶の水女子大学卒 在学中、尾上柴舟(おのえ さいしゅう)に師事
仙台の高等女学校教諭、のち上京し、社会民衆党代議士・阿部温知と結婚
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神明社
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| ・場所:宮城県登米市中田町石森字前田 神明社境内 Yahoo!地図 |
阿部 静枝歌碑
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| 青空より 降り来る冬の 日光に ふくらむこころ しばらく保て |
・歌意:
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1973年(昭和48年) 阿部静枝歌碑建立委員会 建立
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2013.5.8

2013.5.8

2013.5.8

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石森小学校
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・場所:宮城県登米市中田町石森字前田 Yahoo!地図
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| 阿部 静枝歌碑 |
はかりがたき 三十年技も 花のごとく 児らすこやかに 伸びて匂へよ
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| ・歌意: |
| 年 建立 石森小学校開校百周年記念 |
2013.5.8

2013.5.8

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山寺立石寺で詠んだ句
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因縁に ものみ絡め 死後の相 かたどる山寺 信なし上る
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・歌意:
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| 歌集「秋草」より |
山ふかく ふたり入り来て いのち愛し 水ふくみあひて 更には登る
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| ・歌意: |
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天江 富弥(あまえ とみや)
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・説明:1899一1984年 86歳没 仙台市の造り酒屋「天賞」の三男 本名富蔵
明治大学商科卒 児童文学者 郷土史料研究家
大正十年に日本最初の童謡専門誌「おてんとさん」をスズキへキと創刊して以来、一貫して子どもに夢を与える児童文化活動の指導者として活躍した。
昭和2年に仙台市の文化横丁に郷玩店「小芥子洞」を開業し、昭和3年にこけしを体系的に扱った日本初の文献「こけし這子の話」を上梓して、東北限定の玩具・こけしを、全国的に著名な民芸品に押し上げた。
「炉ばた」の主人としても親しまれたユニークな文化人であり、郷土史家として郷土史を多角的な視点から掘り起こし河北文化賞を受けた。
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| 宮城県立中央児童館 |
・場所:宮城県仙台市太白区向山3丁目 県立中央児童館内 Yahoo!地図
・説明:中央児童館は,平成25年3月31日閉館 公益財団法人仙台市公園緑地協会が管理 |
童謡詩碑「のんのさんのポッポの碑」
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のんのさんのポッポ
のんのさんのポッポはまあるいメンメ
お豆をたべるからまるいのね ポッポ ポッポ ポッポーサン
のんのさんのポッポはくいしんぼうだね たべてもたべてもまだたべる
ポッポ ポッポ ポッポーサン
のんのさんのポッポはお屋根で見てる あしたも来てねと ないている
ポッポ ポッポ ポッポーサン 天江富弥
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・説明:のんの:尊ぶべきものをさしていう幼児語
ポッポ:鳩 |
1990年(平成2年) 建立
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2010.02.27

2010.02.27

2010.02.27

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林香院(りんこういん)
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・場所:宮城県仙台市若林区新寺5丁目 林香院 Yahoo!地図
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なんぼになっても母の夢
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句意:
・説明:天江富弥の「なんぼになっても母の夢」にヘキが「よう」と呼びかける
※なんぼになっても:何歳ななっても
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年 建立
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2010.03.03

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| 大梅寺(だいばいじ) |
| ・場所:宮城県仙台市青葉区茂庭 大梅寺石段 Yahoo!地図 |
郷土句抄
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・説明:東京で編まれた17編の句集と戦後の作品から横山藤平、富田ひろし、大梅寺住職の星悠雲の三氏が選句したもの
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| かっつくがら ゆっくり往(い)がえん 浄土路 |
かっつくがら:おいかけて追いつくから
往(い)がえん:行きなさい |

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新井 雨窓(あらい うそう)
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・1850-1975年 63歳没 登米市石森小倉生まれ
仙台藩の養賢堂の先生から 1862年養賢堂学頭添役(校長心得)
1866年 学頭(校長) 初代佐沼小学校長
若い頃に兄の敵討ちを成し遂げている
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「養賢堂學頭新井君之碑」
石大神社 宮城県登米市中田町石森
桜ながねの仇討
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| 有井 凌雲(ありい りょううん) |
・説明:1893-1985年 本名:有井癸巳雄(きみお) 書家
東北外国語専門学校長、元・東北大学理学部教授
茶道では有井宗楽、書道では有井凌雲と名乗る。仙台銘菓「支倉焼」の文字
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望郷山山頂
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| ・場所:宮城県女川町女川字鷲神浜 Yahoo!地図 |
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| 句意: |
| 1941年(昭和16年) 建立 |
2013.10.13

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輪王寺(りんのうじ)
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| ・場所:宮城県仙台市青葉区北山1 Yahoo!地図 |
「怡意洗心(いい せんしん)」
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喜びを持って、心の汚れを洗い清める。
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1988年(昭和63年) 建立 有井凌雲 筆
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2013.08.11

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| 鮎貝 槐園(あゆかい かいえん) |
・説明:1864-1946年 宮城県気仙沼出身 落合直文の弟 本名:房之進(ふさのしん)
言語学者 歴史学者 歌人
1878年 仙台師範学校卒業
1884年 官費学生として東京外国語学校朝鮮語学科に入学
1890年 宮城県会議員当選
1893年 7月15日上野から与謝野鉄幹と共に南山閣から仙台、閖上、塩竃、松島、
石巻、金華山を旅する。
7月31日、8月3日南山閣で正岡子規の訪問を受ける。
1894年 朝鮮に渡り、京城(韓国で5箇所の私立小学校の創設の責任者となる。
煙雲館は、落合直文、鮎貝槐園の生家
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| 煙雲館(鮎貝邸)庭園(えんうんかんていえん) |
・場所:宮城県気仙沼市松崎片浜197煙雲館庭園 Yahoo!地図
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そよとだに たよりばかりの あれかしと 花にも風を いのるころかな
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歌意:
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1962年(昭和37年) 鮎貝家当主鮎貝盛益他縁者 建立
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2006.08.01

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安斎 桜かい子(あんざい おうかいし)
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登米町大手前通り
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登米町大手前通り
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| ・場所:宮城県登米市登米町寺池 大手前通り Yahoo!地図 |
| 安斎 桜かい子(あんざい おうかいし) |
| ・説明:1863-年 登米町生まれ 本名:千里 |
晩学静か也 杉は花粉を 飛ばす
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| 句意: |
1979年(昭和54年) 菊地瓦全他七人 建立
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2012.5.19

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伊沢 平左衛門(いさわ へいざえもん)
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・説明:1858-1934年 勝山酒造 仙台市会議員 宮城貯蓄銀行頭取 仙台ガス会社社長 衆議院 仙台商業会議所 七十七銀行頭取 酒造組合長
大正3年に私苑の一部を勝山公園として市民に開放 |
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| 石ノ森 章太郎(いしのもり しょうたろう) |
・生誕:1938-1998年 60歳没
宮城県登米郡石森町(現在中田町石森)に父・康太郎、母・カシクの長男として生まれる。
(姉・弟2人・妹の5人兄弟)本名:小野寺 章太郎
・功績:1956年宮城県佐沼高校卒業と同時に上京 西落合に下宿、漫画家生活に入る。
1959年手塚治虫の誘いで東映・長編漫画映画「西遊記」の企画制作に参画
1966年「ミュータント・サブ」「サイボーグ009」で第7回講談社児童まんが賞受賞。
1968年「ジュン」「佐武と市捕物控」で第13回小学館漫画賞受賞 その他略
・職業:マンガ家、社団法人日本漫画家協会常務理事、マンガジャパン世話人代表他
一人の著者による最も多い漫画の出版の記録としてギネス・ワールド・レコーズに認定
1984年石森から石ノ森に改名
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石ノ森章太郎ふるさと記念館
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| ・場所:宮城県登米郡中田町石森字町132 Yahoo地図 |
2000年(平成12年)夏故石ノ森章太郎氏の人気漫画「佐武と市捕物控」に描かれた江戸の家並みは、氏の生まれ故郷中田町石森地区の家並みがモデルとなっていました。この白壁の店蔵は記念館のシンボル的建物で、記念館の入口になります。
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ライトアップする庭




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| 生家 |
・場所:宮城県登米郡中田町石森字町119番地1 Yahoo地図
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二階で使用してた机

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詩碑
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| 石ノ森ふるさと記念館内 |
町おこし人おこし
町は一人ではおこせませんが 人は一人でもおこせます。 おこすとは興すであり 熾すであり起こすです。 一人一人の魂の覚醒こそが 町おこし第一歩であり。 皆さんの役目があります。
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| 年 建立 |
2001.05.05

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石巻マンガロード
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・場所:石巻市街 石巻駅~石ノ森漫画館
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マンガロード案内板 2006.07.31

石巻駅 2006.07.31

2006.07.31

2006.07.31

サイボーグ003 駅前広場 2006.07.31

サイボーグ009 2006.07.31

ロボコン 2006.07.31

仮面ライダー 2006.07.31

マンホール 2006.07.31

コースからはずれて チョビンベンチ 2006.07.31

石板マンガギャラリー(橋通り商店街)2006.07.31

エッちゃんとプク2006.07.31

2006.07.31

2006.07.31

自動販売機もマンガ 2006.07.31

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| 石川 善助(いしかわ ぜんすけ) |
愛宕神社(あたごじんじゃ)
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| ・場所:仙台市太白区向山4-17-1 愛宕神社境内 Yahoo!地図 |
| 石川 善助(いしかわ ぜんすけ) |
・説明:1901-1932年 31歳没 詩人 仙台市青葉区国分町芭蕉の辻の小間物商「菅喜」に生まれ。 仙台商業高校卒業後趣味を生かしてね郷土詩壇の中軸として活躍 同人誌「感触」を発行、「北日本詩人」を創刊する。
1928年(昭和3年)上京、中央詩壇を目指し、福士幸次郎、草野心平、高村光太郎、宮澤賢治らと共に日本詩壇の発展に尽くした。 酒を相手にすることが多く、大森駅近くの線路を歩いているうちに側溝に転落、溺死、31歳 生前、鴉射亭・石川右京の名で童謡等貴重な作品を遺した。 没後、友人たちによって「鴉射亭随筆」、詩集「亜寒帯」、「石川善助童謡集」が発行された。
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化石を拾ふ
光りの澱む切り通しのなかに 童子が化石を捜してゐた
黄赭の地層のあちらこちらに 白いうづくまる貝を掘り
遠い古世代の景色を夢み 遠い母なる匂ひを嗅いでゐた
・・・もう日は翳るよ 空に鴉は散らばるよ
だのになほも探してゐる 探してゐる
外界のこころを 生の始めを 母を母を
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1958年 石川善助建設委員会建立 19歳の作
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赭(しゃ):暗い赤色のような色。茶色に近い。土の色名の一つ
翳(かげ)る:物におおわれてできる陰
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2010.3.7

2010.3.7

2010.3.7

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石母田 正輔(いしもだ しょうすけ)
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・説明:1861-1941年 石巻の市制を施行 初代市長
石巻市の基盤整備に手腕を発揮した。
特に財政事情から困難とみられていた水道事業を完成させた功績が大
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石母田正輔像
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住吉神社
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・場所:宮城県石巻市住吉町 住吉公園 Yahoo!地図
・作者:不明
・1993年設置
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2012.05.19

2012.05.19

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伊東 七十郎 重孝(いとう しちじゅうろう しげたか)
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・説明:1633-1668年 桃生郡 出身 36歳没
伊達騒動で知られる寛文事件
仙台藩3代藩主綱宗が強制的に隠居させられ、その後藩の実権を握り、仙台藩を乗っ取ろうと計画したとされる伊達兵部宗勝を誅殺しようとして失敗し捕らえられた伊東七十郎重孝は、1668年(寛文8年4月28日年)、仙台の米ヶ袋誓願寺河原にて斬首された。
1671年、涌谷の伊達宗重の訴訟により仙台藩をめぐる陰謀が明るみに出た。そして、宗勝や原田宗輔たち兵部一派が滅ぼされるに及び、重孝の忠が称えられ、仙台藩主伊達綱村は伊東家の再興を認めた。
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船岡城址公園
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・場所:宮城県柴田郡柴田町大字船岡字舘山(船岡城址公園) Yahoo!地図
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伊東 七十郎 辞世の句碑
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人心これ危し 道心これ微なり
これ精これ一まことその中をとる
古語にいう身をば危すべし志をば奪うべからず
又云殺べくして恥しめべからず
又云内に省てやましからず是予が志なり
食を断って三十三日目に之を書なり
我が霊魂三年の内に滅すべし
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| 意: |
| 1974年 建立 |
2010.04.06

2010.04.06

2010.04.06

人心惟危 道心惟微 惟精惟一 允執厥中
人心惟危 微 惟精惟一誠 厥執中 |
人の心は肉体があるから、物欲に迷って邪道に陥る危険があり、本来人に備わってる道義の心は物欲に覆われ微かになっている。それゆえ人心と道心の違いをわきまえ、煩悩にとらわれることなく道義の心を貫き、天から授かった中庸の道を守っていかねばならない
中国の書経からの引用
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愛宕神社
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・場所:宮城県仙台市太白区向山4-17-1 愛宕神社境内 神門の前 Yahoo!地図
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伊東 七十郎 重孝(いとう しちじゅうろう しげたか)
「招魂碑」
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・説明:伊達騒動で知られる寛文事件
仙台藩3代藩主綱宗が強制的に隠居させられ、その後藩の実権を握り、仙台藩を乗っ取ろうと計
画したとされる伊達兵部宗勝を誅殺しようとして失敗し捕らえられた伊東七十郎重孝は、
1668年仙台の米ヶ袋誓願寺河原にて斬首された。
1902年愛宕山東登り口の改修工事中に伊東七十郎重孝の遺骸が発見された。
遺骸は一族の菩提寺である裁松院に葬られたが、発見された場所に1907年に招魂碑が建てら
れた。後に碑は山頂のこの地に移された。
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1907年(明治40年)建立 二百四十回忌
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2012.12.06

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縛地蔵尊
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・場所:宮城県仙台市青葉区米ヶ袋3-5 Yahoo!地図
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伊東 七十郎 重孝(いとう しちじゅうろう しげたか)
米ヶ袋刑場跡地
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・説明:伊達騒動で知られる寛文事件
仙台藩3代藩主綱宗が強制的に隠居させられ、その後藩の実権を握り、仙台藩を乗っ取ろうと計
画したとされる伊達兵部宗勝を誅殺しようとして失敗し捕らえられた伊東七十郎重孝は、
1668年仙台の米ヶ袋誓願寺河原にて斬首された。
当時の人々が重孝の供養のため建立した「縛り地蔵尊」
重孝は処刑の際に、処刑役の万右衛門に「やい万右衛門、よく聞け、われ報国の忠を抱いて、罪なくして死ぬが、人が斬られて首が前に落つれば、体も前に附すと聞くが、われは天を仰がん。仰がばわれに神霊ありと知れ。三年のうちに癘鬼となって必ず兵部殿(宗勝)を亡すべし」と言った。そのためか万右衛門の太刀は重孝の首を半分しか斬れず、重孝は斬られた首を廻して狼狽する万右衛門を顧み「あわてるな、心を鎮めて斬られよ」と叱咤した。気を取り直した万右衛門は2度目の太刀で重孝の首を斬り落としたが、同時に重孝の体が果たして天を仰いだという。後に万右衛門は、重孝が清廉潔白な忠臣の士であったことを知り、大いに悔いて阿弥陀寺の山門前に地蔵堂を建てて、重孝の霊を祀ったともいわれている。
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2013.01.02

2013.01.02 
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栽松院(さいしょういん)
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・場所:宮城県仙台市若林区連坊1丁目3-18 裁松院 Yahoo!地図
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伊東 七十郎 重孝(いとう しちじゅうろう しげたか)の
墓
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・説明:
並んで父・重村と兄・重頼の墓もある
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2016.01.14

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重孝神社/計仙痲神社隣
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| ・場所:宮城県石巻市北村字朝日山 Yahoo地図 |
伊東 七十郎 重孝(いとう しちじゅうろう しげたか)
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・説明:1930年建立 伊東七十郎重孝の霊が祀られている
重孝神社は旭山県立自然公園の南東部に位置するが車で行った際よほど気を付けないと通り過ぎてしまうほどである。「先生」という敬称に注目。祭神として伊東七十郎重孝が祀られているほど彼は郷里では英雄、否伝説的な存在である。
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石碑
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人心惟危 道心惟微 惟精惟一 允執厥中
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| 意:人の心は肉体があるから、物欲に迷って邪道に陥る危険があり、本来人に備わってる道義の心は物欲に覆われ微かになっている。それゆえ人心と道心の違いをわきまえ、煩悩にとらわれることなく道義の心を貫き、天から授かった中庸の道を守っていかねばならない |
|
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伊藤 四郎(いとう しろう)
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道安寺(どうあんじ)の句碑
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・場所:宮城郡利府町菅谷字南熊ノ前41 Yahoo!地図
・説明:1981年(昭和56年)仙台市青葉区作並の関山寺にあったが火災により道安寺に移された。 |
伊藤 四郎(いとう しろう)
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・説明:1912-年 利府町生まれ
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| みちのくの 濁流となる 天の川 |
| 句意: |
| 1981年(昭和56年) 青砥三味他建立発起人 建立 |
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| 涌谷町涌谷城址/城山公園 |
| ・場所:宮城県遠田郡涌谷町涌谷下町3-2 涌谷城址 Yahoo!地図 |
伊藤 四郎(いとう しろう)
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・説明:1912-年 利府町生まれ
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木賊 折れ曲り居る 東北人
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| 句意: |
| 1990年(平成2年) 奥州涌谷金俳句大会実行委員会 建立 |
2012.05.09

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内海 安吉(うつみ やすきち)
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・説明:旧鳴瀬町生まれ、建設政務次官、建設常任委員長などを歴任。北上川総合開発などに情熱を注いだ
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日和山公園
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・場所:宮城県石巻市日和が丘2丁目 日和山公園 Yahoo!地図
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内海 安吉先生像
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作者:不明
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| 大槻 俊斎(おおつき しゅんさい) |
・説明:1806-1862年 赤井村生まれ 大槻武治の次男 幕末の蘭方医(江戸で天然痘の種痘を広めた) 1821年18歳 江戸に出て手塚良仙のもとで修行し、このとき石巻出身の湊長安、水沢市の高野長英らと出会う 1837年34歳の時長崎でオランダ医学を学び江戸に戻り開業する。 1856年には仙台藩医になった。 1858年55歳 大槻俊斎らは、神田のお玉が池種痘所を開く
種痘所は、西洋医学所、医学所等と改称・発展し、東京大学医学部の前身とされるため、俊斎は東大医学部初代総長と見なされている。 |
| 大槻俊斎像 |
・場所:東松島市小松上浮足256 東松島市保健センター Yahoo!地図
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・設置年:
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| 墓 |
・場所:東京都豊島区巣鴨5-32-2 総禅寺
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| ・場所:宮城県東松島市赤井字星場 Yahoo!地図 |
| ・設置年:1960年 |
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| 墓 |
・場所:東京都豊島区巣鴨5-32-2 総禅寺
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| ・場所:宮城県東松島市赤井字星場 Yahoo!地図 |
| ・設置年:1960年 |
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| 及川 甚三郎「及甚」(おいかわ じんざぶろう)「おいじん」 |
・生誕:1845-1927年
宮城県登米市東和町米川字軽米(かるこめ)の農家小野寺重郎治の三男に生まれ
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・経歴・功績
21歳で及川家の婿養子になる。家業の川運送の仕事を始めた。
米川村から石巻まで木炭を川船で運ぶ仕事を営んでいたことから、世の中の新しい情報や動向に触れやすい環境にあり、持ち前の行動力で、宮城県で初めて東和町に機械製糸工場を作り、農林業依存の貧しい村に産業を導入し、農家の収入を増やす貢献にもなりました。
及川甚三郎は凶作に苦しむ郷里の人を救おうとカナダへの密航を企てました。83人の密航者を乗せた帆船・水安丸が石巻荻浜港を出航したのは明治39年(1906年)8月31日。「パイオニア及甚」の夢は、カナダに日本人の理想郷を創り上げること。カナダに渡った甚三郎はライオン島を開拓し、日本人移住者を集めて活気あふれる島に変えていきました。
現在、カナダでは渡航者の2世が多く活躍しています。
1979年新田次郎著「密航船水安丸」のモデルとなった人で、明治39年に水安丸で北米に密航し、のち塩鮭を日本に出荷する計画をたて、成功した。昭和2年河南町佳景山で亡くなった。
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密航船 水安丸(すいあんまる)
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・説明:
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写真 東和町パンフレット
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華足寺の「アメリカ及甚(おいじん)」の碑
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・場所:宮城県登米郡東和町米川字小山下2 Yahoo!地図
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| ・設置:1952年 昭和27年 建立 |

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| 明治のパイオニア及甚 密航船「水安丸」196トン |
・場所:宮城県登米市東和町米谷 北上川堤防北上川親水公園
・設置:1994年 平成6年 寄贈 東北建設協会
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名盤
明治39年(1906年)水害、凶作に苦しむ村民を救おうと旧鱒淵村(現在の東和町)及川甚三郎をリーダーとして、村民83人がカナダに新天地を求め、太平洋の荒波を乗り切って信念を達成しました。
その開拓者魂は今も生きています。
建設業を営むものとして偉業を成し遂げた先人の魂を受継ぐべく、地域の為に邁進します。
この船は、その密航船「水安丸」(196t)です。 |
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