伊達 吉村(だて よしむら)(仙台藩五代藩主) |
就任時点で破綻状態にあった仙台藩の財政を建て直したことから「中興の英主」と呼ばれる。
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・1680年
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宮床伊達氏初代当主 伊達宗房(仙台藩2代藩主の八男)の子として生まれる
幼名は助三郎
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・1686年 |
父の死により家督を相続 宮床伊達氏2代当主(1686−1695年)
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・1690年 |
元服 伊達村房と名乗る
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・1695年
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一関藩主田村建顕の養嗣子に迎えられる
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正式に養子縁組を幕府に届出る前に、跡取りのいなかった仙台本藩の綱村の養嗣子に迎えられることになる。
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・1696年
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伊達吉村に改名
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・1702年
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久我通名の娘・冬姫と結婚
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・1703年
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養父・伊達綱村が財政悪化により隠居に追い込まれると、家督を継いで第5代仙台藩主となった。
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綱村が残した莫大な負債に加えて、その尻拭いに要する費用がさらに赤字を雪だるま式に増幅させるという悪循環に陥る。
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・1726年〜
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役職の整理を進める。
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・1727年
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仙台領産の銅を使用することを条件に、幕府の許可を得て銅銭(寛永通宝)を石巻で鋳造し、それを領内で流通させることで利潤を得た。
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買米仕法を再編強化し、農民から余剰米を強制的に供出させ江戸に廻漕して換金した
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・1732年
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西国で享保の大飢饉が発生すると、この年奥州は豊作であったため、大量の米を江戸に送って売りさばき50万両を超える収益を上げた。このため藩財政は一気に好転し、ようやく単年度での黒字
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・1736年
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学問所が設立される(後の養賢堂)建立
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・1743年
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四男・久村(宗村)に家督を譲って隠居し、袖ヶ崎の下屋敷に移った。
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・1752年
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死去 享年72
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和歌・書画など芸術面にも優れた才能を示した。 |
・和歌:「隣松集」「続隣松集」 |
・絵画:「自画像」「六所玉河和歌御手鑑」「源氏八景御手鑑」「たかがり・すなどり図」
「竹梅図」 仙台市博物館蔵
「京極定家・後京極良経像」 福島美術館蔵
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御崎歌碑
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・場所:宮城県気仙沼市唐桑町崎浜(御崎) Yahoo!地図
・説明:1723年領内巡視時詠む |
伊達 吉村(だて よしむら)
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・説明:1680−1752年 72歳 第5代仙台藩主
吉村自身が書、絵画、和歌などの文学面に優れている。 |
雲ならで 海のはてなる 山もなし そらにつづける なみのせんりは
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歌意: |
うらはなの すえやたかさと 見るばかり 千さとの波は 雲につずきて
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歌意:
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2008年(平成20年) 気仙沼市唐桑ふるさと会 建立
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2012.5.20

2012.5.20

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鶴頭(かくとう)城址/鶴頭公園 |
・場所:宮城県遠田郡美里町字西館 鶴頭城址 Yahoo!地図 |
伊達 吉村(だて よしむら)
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・説明:1680−1752年 72歳 第5代仙台藩主
絵画、和歌などの文学面に優れている。 |
1727年(享保12年) 建立
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2013.3.7

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絵画
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・福島美術館:「京極定家・後京極良経像」「鵜飼図」
・仙台市博物館:「自画像」「六所玉河和歌御手鑑」「たかがり・すなどり図」「竹梅図」
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塩竃神社 扁額
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・場所: |

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墓所 |
・場所:仙台市太白区茂ヶ崎1−5 大年寺山 Yahoo地図
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綱村の遺命
先規に従い毎世廟を建てなば後世子孫何を以て保たん、我死せば墓石を建て、瓦葺の屋根を覆うまでにすべし
四代綱村(大年寺跡・無尽灯廟)(非公開)
五代吉村(大年寺跡・無尽灯廟)(非公開)
六代宗村(大年寺跡・宝華林廟)(非公開)
七代重村(大年寺跡・宝華林廟)(非公開)
八代斉村(大年寺跡・宝華林廟)(非公開)
十代斉宗(大年寺跡・無尽灯廟) (非公開)
十二代斉邦(大年寺跡・無尽灯廟)(非公開)
十三代慶邦(大年寺跡・宝華林廟) (非公開)
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無尽灯廟


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伊達 吉村(だて よしむら)
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・説明:瑞巌寺蔵
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