・1866年
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仙台藩13代藩主 伊達慶邦の四男として生まれる。
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・1868年
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慶邦が奥羽列藩同盟の盟主になったために罰された。のち家督を譲られて藩主に
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・1869年
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版籍奉還後、仙台藩知事となる
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・1870年
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本来なら慶邦の跡を継ぐのは養子の宗敦であったため、謹慎を解かれた宗敦に藩知事を譲った
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・1884年
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伊達伯爵家
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・1917年
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死去 享年52
伊達伯爵家は弟の邦宗(慶邦の七男)が継いだ。
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仙台藩 弔魂碑(ちょうこんひ) |
・場所:仙台市青葉区霊屋下23 経ヶ峯伊達家墓域南側奥 Yahoo!地図 |
・説明:戊辰戦争で東北や北越諸藩は防備のため為に奥羽越列藩同盟を結び、西国諸藩に対抗しましたが、武器の優劣や各藩の事情から同盟は3ヶ月で瓦解した。
仙台藩は盟主として東北や越後などで戦い1260名を失い、同盟軍及び幕府軍合わせて8000余名が亡くなりました。
弔魂碑はその御霊をと弔うため、1877年(明治10年)10月、14代当主伊達宗基が、瑞鳳殿鐘楼跡の石積基壇の上に方尖塔を建てた。
地上総高約4.5m、銘文は大槻文彦
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2014.12.20


2014.12.20

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