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伊達 兵部 宗勝(だて ひょうぶ むねかつ)

1621
 伊達政宗の十男として生まれる 母:法性院
1658
 伊達3代藩主「忠宗」が死去して綱宗が跡を継ぐと、藩祖・政宗の息子であるという自負で、綱宗の庶兄田村宗良とともに藩政を見た。嫡子・宗興の正室に酒井忠清の養女を迎えるなど幕府との繋がりも強く3万石の大名となる。
1660
 綱宗が幕命によって隠居を余儀なくされ、その跡をわずか2歳の長男・綱村が継ぐと
 宗勝はその後見人となって仙台藩を専横するようになった。
1671
 宗勝は年長の後見役でありながらみだりに刑罰を科して仙台藩政の混乱をもたらし、果ては江戸での刃傷沙汰という不祥事を招く原因を成したとして、一関藩は改易となった。
 宗勝の家族には永預の処分が下され、宗勝自身は土佐藩主・山内豊昌預かり、嫡男・宗興は小倉藩主・小笠原忠雄預かり、その妻子は伊予吉田藩(宇和島藩支藩)主・伊達宗純預かり、
 宗勝の側室2人と子4人(虎之助・兵蔵・於竹・於妻)は岩出山の伊達宗敏預かりとされた。
 この処分によって一関伊達氏は宗勝一代で御家断絶となり、一関藩領3万石は仙台本藩領に復帰し、家老・新妻胤実以下一関藩士一同も仙台本藩に帰属した。
1679
 死去 59歳没

江戸時代前期 仙台(伊達)藩に起った御家騒動

宗重

伊達安芸
宗重

涌谷
伊達氏


伊達政宗
との血縁は薄い
伊達政宗(伊達藩初代藩主)






 


愛姫
田村御前
陽徳院

愛姫
田村御前
陽徳院

愛姫
田村御前
陽徳院
 
   
八男
竹松丸
五男
宗綱
 
二男
忠宗
 

   
7歳
死亡

岩ヶ崎
伊達氏
初代当主
伊達藩

二代藩主






 

愛妾
香の前






法性院


阿茶
の局

荘厳院


柴田氏
於山方
阿山方
天渓院

柴田氏
於山方
阿山方
天渓院




祥光院

猫御前
新造の方



猫御前
新造の方


又次郎
亘理宗根
十男
宗勝

九男
宗実

七男
宗高
六男
宗信
 
四男
宗泰
三男
宗清
長男
秀宗
高清水
亘理家
初代当主
一関
藩主

亘理
伊達氏
2代当主

村田
伊達氏
当主
岩ヶ崎
伊達氏
2代当主
岩出山
伊達氏
初代当主
吉岡
伊達氏
当主
宇和島藩

初代藩主
  伊達 忠宗(伊達藩二代藩主)
 



           
振姫

孝勝院

二男
光宗
19歳
死亡

振姫

孝勝院

長男
虎千代丸
7歳
早世
 



 

たけ
慶雲院

たけ
慶雲院

ふさ
祥雲院

貝姫
得生院


瑞昌院


瑞昌院

ふさ
祥雲院
九男
飯塚宗章
八男
宗房
七男
宗規
六男
綱宗
五男
宗倫
四男
五郎吉
三男
田村宗良
 
飯坂定長
の養子

 
宮床
伊達氏
初代当主
 
岩谷堂
伊達氏
3代当主
 
伊達藩
三代藩主
21歳
 隠居
登米
伊達氏
4代当主
 
登米
伊達氏
3代当主
 
岩沼藩

初代藩主
 
 

  
宗重(伊達安芸宗重)(涌谷伊達氏)派
宗勝派(伊達兵部宗勝)派
 伊達宗重(涌谷伊達氏)と宗勝の甥にあたる伊達宗倫(登米伊達氏)の所領紛争
宗重(伊達安芸宗重)(涌谷伊達氏)
  伊達宗倫(登米伊達氏) 
 宗勝暗殺首謀者 伊藤重孝(七十郎)
 
1670年 宗勝の専横を警戒した宗重は幕府に上訴する。
 宗重は領地争いでの正当性の主張や、仙台藩の現状などを訴え、その結果仙台から原田甲斐宗輔・古内志摩義如・柴田外記朝意の3家老が召喚され、彼らの証言と宗重の申し条とがあわせて吟味された。
1971.3.27 江戸 大老 酒井忠清 邸にて更に詮議が行われ
 伊達安芸宗重・古内志摩義如・柴田下記朝意の弁明内容がほぼ一致したと認められたことから、彼らと食い違う原田甲斐宗輔の弁明が退けられ、伊達兵部宗勝一派の施政がとがめられることとなった。
 不利な立場に立たされた原田甲斐宗輔は酒井邸控えの間にて背後から突然宗重に斬りつけ、不意をつかれた伊達安芸宗重は負傷しながらも刀を抜いて応戦するが、深手を負ってその場で絶命した。
 柴田下記朝意(奉行)
奥山大学常辰(奉行筆頭)
 古内志摩義如(奉行)
原田甲斐宗輔(奉行)原田家19代当主
 片倉小十郎景長
津田玄蕃景康(若年寄兼評定役)佐沼8000石
 伊東七十郎重孝
 

 1671年 幕府は伊達 兵部 宗勝 田村 右京 宗良 を藩主後見人を解任
 伊達 兵部 宗勝を土佐への配流
  田村 右京 宗良を閉門を命じた。原田一家は切腹を命ぜられ断絶
 第4代将軍・徳川家綱のもとで大老として権勢を誇っていた酒井忠清と宗勝が密約を結んで、仙台藩を事実上乗っ取るつもりだったとも言われているが、幕府の裁定によって藩主・綱村は若年であるということでおとがめ無しの上、仙台藩は安泰とされた。