宗重(伊達安芸宗重)(涌谷伊達氏)派
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宗勝派(伊達兵部宗勝)派
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伊達宗重(涌谷伊達氏)と宗勝の甥にあたる伊達宗倫(登米伊達氏)の所領紛争 |
宗重(伊達安芸宗重)(涌谷伊達氏)
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伊達宗倫(登米伊達氏) |
宗勝暗殺首謀者 伊藤重孝(七十郎)
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1670年 宗勝の専横を警戒した宗重は幕府に上訴する。
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宗重は領地争いでの正当性の主張や、仙台藩の現状などを訴え、その結果仙台から原田甲斐宗輔・古内志摩義如・柴田外記朝意の3家老が召喚され、彼らの証言と宗重の申し条とがあわせて吟味された。
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1971.3.27 江戸 大老 酒井忠清 邸にて更に詮議が行われ |
伊達安芸宗重・古内志摩義如・柴田下記朝意の弁明内容がほぼ一致したと認められたことから、彼らと食い違う原田甲斐宗輔の弁明が退けられ、伊達兵部宗勝一派の施政がとがめられることとなった。
不利な立場に立たされた原田甲斐宗輔は酒井邸控えの間にて背後から突然宗重に斬りつけ、不意をつかれた伊達安芸宗重は負傷しながらも刀を抜いて応戦するが、深手を負ってその場で絶命した。
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柴田下記朝意(奉行)
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奥山大学常辰(奉行筆頭)
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古内志摩義如(奉行)
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原田甲斐宗輔(奉行)原田家19代当主
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片倉小十郎景長
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津田玄蕃景康(若年寄兼評定役)佐沼8000石
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伊東七十郎重孝
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