伊達 綱宗(だて つなむね)(仙台藩三代藩主)
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・1640年
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伊達二代藩主 伊達忠宗の六男 母は側室・貝姫
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・1645年
(5歳)
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兄 光宗の死亡により嫡子になる
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・1658年
(19歳)
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忠宗の死により伊達三代藩主 |
・1660年
(21歳)
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酒色に溺れて藩政を顧みない暗愚な藩主とされ。伊達宗勝の政治干渉、家臣団の対立などの様々な要因が重なって、藩主として不適格と見なされて幕命により隠居させられる。
伊達騒動を題材にした読本や芝居に見られる、吉原三浦屋の高尾太夫の身請けやつるし斬りなどは俗説とされる。
一切の政事から身を引き,不遇の生涯を江戸品川藩邸で酒を断ち、頭を丸め「嘉心(かしん)」と号し謹慎して書画、和歌、能、茶道等芸術三昧に生きた。
絵画だけでなく工芸や刀剣など各分野に本格的な技量を発揮した。 |
・1711年 |
江戸で死去 享年72 墓所は善応殿
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伊達 忠宗(伊達藩二代藩主) |
正
室
の
子
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母 振姫
孝勝院
二男
光宗
19歳
死亡
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母 振姫
孝勝院
長男 虎千代丸
7歳
早世
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側
室
の
子
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母 たけ
慶雲院
九男
飯塚宗章
飯坂定長 の養子
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母 たけ
慶雲院
八男
宗房
宮床
伊達氏 初代当主
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母 ふさ
祥雲院
七男
宗規
岩谷堂
伊達氏
3代当主
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母 貝姫
得生院
六男
綱宗
伊達藩
三代藩主
19歳
21歳隠居
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母
瑞昌院
五男
宗倫
登米
伊達氏
4代当主
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母
瑞昌院
四男
五郎吉
登米
伊達氏
3代当主
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母 ふさ
祥雲院
三男
田村宗良
岩沼藩
初代藩主
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善応殿(ぜんのうでん)
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・場所:仙台市青葉区霊屋下23-2 Yahoo地図
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・1716年(享保元年) 伊達五代藩主 伊達吉村 建立
現在の霊屋は瑞鳳殿に続いて再建が進められ、1985年(昭和60年)に完成した。
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高尾 太夫(たかお たゆう・だゆう)
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・説明:高尾太夫は、吉原で最も有名な遊女で、その名にふさわしい女性が現れると代々襲名された。
太夫:江戸時代に美貌と教養を兼ね備えた最高位の遊女に与えられた称号
2代目高尾太夫:万治高尾(万治年に全盛)、仙台高尾(仙台藩主・伊達綱宗が熱を上げた)とも
呼ばれた。
身請け話を「他に好きな男(間夫)がいるから」と袖にしたために惨殺された。
多くの挿話があるが、その真偽は不明
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瑞宝寺(ずいほうじ) 高尾門(たかおもん) |
・場所:宮城県仙台市青葉区霊屋下23−5 Yahoo地図
・内容:切妻造、棧瓦葺、三間一戸の薬医門で本堂の北東にある。江戸時代中期頃の建築
若くして隠居させられた綱宗の側室・椙原品(すぎはらしな)(お椙の方)の屋敷門
遊女 高尾太夫から高尾門とも呼ばれている。
・1962年(昭和37年)に支倉町にあった武家屋敷の門を移築してきたもの。
・仙台市文化財登録
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君はいま 駒形あたり ほとどぎす
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・句意:時鳥(ほととぎす)が鳴いています。あなたは今、駒形の渡しのあたりで舟を待っているのでしょうか。あなたの姿が浮かんできます。
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雪薄紋)
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雪薄紋は、伊達家特有の家紋で、十七世政宗の鞍(くら)や鐙(あぶみ)に 使用されていることから、政宗の時代には伊達家の家紋として加えられてい
たと考えられる。後代、雪薄紋はその紋様が優雅なことから、伊達家姫方専用の 替紋となり、また、伊達家中の女性で特に功のあった者に下賜された
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絵画
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・福島美術館:6件 「弁財天・牡丹図」
・仙台市博物館:「霊昭女」、「牡丹」、「芙蓉図」
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伊達 綱宗(だて つなむね)
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・説明:瑞巌寺蔵
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