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伊達騒動
江戸時代前期 仙台(伊達)藩に起った御家騒動
伊達安芸宗重が・幕府に伊達兵部宗勝達が、悪政を行っていると・幕府に訴えたことから始まった

宗重

伊達安芸
宗重

涌谷
伊達氏
2万1千640石

伊達政宗との血縁は薄い
 

  
伊達政宗(伊達藩初代藩主)






 



愛姫
田村御前

陽徳院

八男
竹松丸


7歳死亡

愛姫
田村御前

陽徳院

五男
宗綱
岩ヶ崎
伊達氏
初代当主

愛姫
田村御前

陽徳院

二男
忠宗

伊達藩
二代藩主






 

愛妾
香の前

又次郎
亘理宗根

高清水
亘理家
初代当主


法性院


十男

宗勝

一関藩主



阿茶の局
荘厳院

九男
宗実

亘理
伊達氏
2代当主


柴田氏
於山方

七男
宗高

村田
伊達氏
当主

柴田氏
於山方

六男
宗信

岩ヶ崎
伊達氏
2代当主

祥光院


四男
宗泰

岩出山
伊達氏

初代当主

猫御前
新造の方

三男
宗清

吉岡
伊達氏
当主

猫御前
新造の方

長男
秀宗

宇和島藩
初代藩主

伊達 忠宗(伊達藩二代藩主)




            母 振姫
孝勝院
二男
光宗
19歳
死亡
母 振姫
孝勝院
長男
虎千代丸
7歳
早世




 

たけ
慶雲院

九男
飯塚宗章

飯坂定長
の養子



たけ
慶雲院

八男
宗房

宮床
伊達氏
初代当主


ふさ
祥雲院

七男
宗規

岩谷堂
伊達氏
3代当主


貝姫
得生院

六男
綱宗

伊達藩
三代藩主

21歳
隠居

瑞昌院



五男

宗倫

登米
伊達氏
4代当主


瑞昌院


四男
五郎吉

登米
伊達氏

3代当主


 ふさ
祥雲院

三男
田村宗良

岩沼藩
初代藩主




1660年 藩主伊達綱宗が所行の乱れを理由に幕府から隠居を命じられ,2歳の亀千代(のち綱村)が家督を相続した。
 一関藩主 伊達 兵部 宗勝 
岩沼藩初代藩主 田村 右京 宗良が後見役となる。
一関藩主 伊達 兵部 宗勝田村 右京 宗良が甥にあたるため実権を掌握し権勢を振るった。
 藩内の進歩派、原田 宗輔(原田 甲斐)と結んで実権を握る。
 伊達 兵部 宗勝の専横を警戒した伊達 安芸 宗重は幕府に上訴する。
        
   
宗重(伊達安芸宗重)(涌谷伊達氏)
 宗勝派(伊達兵部宗勝)派
 伊達宗重(涌谷伊達氏)と宗勝の甥にあたる伊達宗倫(登米伊達氏)の所領紛争
宗重(伊達安芸宗重)(涌谷伊達氏)
 伊達宗倫(登米伊達氏) 
 宗勝暗殺首謀者 伊藤重孝(七十郎)
 
        1670年 宗勝の専横を警戒した宗重は幕府に上訴する。
 宗重は領地争いでの正当性の主張や、仙台藩の現状などを訴え、その結果仙台から原田甲斐宗輔・古内志摩義如・柴田外記朝意の3家老が召喚され、彼らの証言と宗重の申し条とがあわせて吟味された。
1971.3.27 江戸 大老 酒井忠清 邸にて更に詮議が行われ
 伊達安芸宗重・古内志摩義如・柴田下記朝意の弁明内容がほぼ一致したと認められたことから、彼らと食い違う原田甲斐宗輔の弁明が退けられ、伊達兵部宗勝一派の施政がとがめられることとなった。
 不利な立場に立たされた原田甲斐宗輔は酒井邸控えの間にて背後から突然宗重に斬りつけ、不意をつかれた伊達安芸宗重は負傷しながらも刀を抜いて応戦するが、深手を負ってその場で絶命した。
 柴田下記朝意(奉行) 
奥山大学常辰(奉行筆頭)
 古内志摩義如(奉行)
原田甲斐宗輔(奉行)原田家19代当主
 片倉小十郎景長
津田玄蕃景康(若年寄兼評定役)佐沼8000石
 伊東七十郎重孝
 

      伊達 綱宗(伊達藩三代藩主)       
正室はいない




母 藤
清雲院
四男
村直

登米
伊達氏
5代当主
母 三沢初子
浄眼院
三男

宗贇

宇和島藩
伊達宗利に養子
三代藩士
母 三沢初子
浄眼院
二男

村和

水沢
伊達氏
5代当主
母 三沢初子
浄眼院
長男
亀千代

綱村
仙台藩4代藩主
2歳
   
 
 幕府は伊達 兵部 宗勝 田村 右京 宗良 を藩主後見人を解任
 伊達 兵部 宗勝を土佐への配流
  田村 右京 宗良を閉門を命じた。原田一家は切腹を命ぜられ断絶
 第4代将軍・徳川家綱のもとで大老として権勢を誇っていた酒井忠清と宗勝が密約を結んで、仙台藩を事実上乗っ取るつもりだったとも言われているが、幕府の裁定によって藩主・綱村は若年であるということでおとがめ無しの上、仙台藩は安泰とされた。